ビゾウロ・マンガンガ
今日まで知られている偉大なカポエイリスタが現れたのは、まさにカポエイラが禁止されていた時代でした。メストレ・パスチーニャのほか、カポエイラ界の伝説の人物として知られている、ビゾウロ・マンガンガもその一人です。映画にもされている有名なカポエリスタです。
ビゾウロ・マンガンガ(マノエル ヘンリケペレイラ)は、1895年にサントアマロのさとうきび畑で生まれました。
幼い頃からカポエイラを学んでしました。解放されたばかりの元奴隷の息子で、
1924年に29歳の若さで殺害されたため、このカポエイリスタの生涯については殆ど知られていません。子供の頃から、自分自身をビゾウロ・プレット(黒いカブトムシ)と呼んでいました。彼は肌が黒く、体が小さく、敵の襲来があっても瞬く間に走り去って姿をくらますことができました。
この当時バイーア州では、カポエイラは全く新しい方法で発展していました。
サンバもカポエイラと同じように迫害・抑圧されていました。
奴隷制度から解放された人達は皆、住居も食物も仕事も教育も何もありませんでした。
無法者が行うものとして忌み嫌われていたカポエイラを行うことは、敵よりカポエイリスタ自身にとって致命的なものとなっていきました。
こうした状況のなか、ビゾウロ・マンガンガが現れました。
ビゾウロ・マンガンガは警察、上司、日常の不正、および当時の白人とクリスチャン特権階級対する抵抗の象徴となりました。警察や商人との衝突が多かったため、彼はこの地域の守護神として知られるようになりました。
現在検索できるビゾウロについての記録の中で、サルバドールのサンカエタノ警察署の記録があります。ビゾウロのグループから没収されたビリンバウを取り戻そうとしたことが記録されています。
「1918年9月10日、バイア州のこの州都で アルゲウ クラウヂオ デ ソウザ(※ビゾウロの別名)23歳、独身、バイーア出身の青年が、サンカエタノ警察署で起こした事件について警察署長に聞いたところによると、彼は押収された武器と一緒にあったビリンバウを返すよう要求した、とのことだった。」
このことはビゾウロがカポエイラを守ろうとする気概を表しています。
白人の特権階級者たちは、カポエイラをつうじて、黒人たちが情報交換や革命的な理想を生み出す危険性がある、と危惧していました。
黒人や北東部の労働者たちは、奴隷・地主体制に反対する労働者文化の象徴であるカポエイラを作りました。彼らは現在のブラジル文化の根本的土台を作り上げました。