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マクレレ


マクレレとは?

「マクレレ」はホーダと呼ばれる人の集まりの輪のなかで、太鼓や唄に合わせて「2本の木の棒」を持って踊るダンスです。2人のジョガドール(ダンサー)はそれぞれ「グリマ」と呼ばれる 60センチ程度の木の棒を両手に持って踊ります。通常は腰ミノを巻きます。
武器を持って踊るダンスのスタイルは世界各地で散見されます。イギリスの「モリスダンス」やコロンビアの「グリマ」などがあります。「マクレレ」もそのひとつで、その起源については数多くの説があります。

マクレレはカポエイラと同様、音楽とダンスの要素が共通することから、カポエイラのレッスンの一環として練習されたり、パフォーマンスとしてみんなに広く披露されたり、バチザード・昇段式のようなカポエイラの儀式のなかでエキシビジョンとして行われています。

マクレレの起源

ここではカポエリスタのあいだで起源とされている説を3つ紹介します。

  1. ブラジルの奴隷制時代には、サトウキビ農園の奴隷が集まってマクレレをゲームとしてプレイし、欲求不満を発散させていました。当時、棒の代わりに「なた」(マチェーテ)が使われていました。のちにマチェーテは安全のため木の棒にとって代わられました。でも、一部の達人はまだマチェーテを使用しています。マチェーテが互いに触れ合うと火花が散るため、とても迫力があります。

  2. ブラジルには2つの部族がありました。平和な部族と好戦的な海賊の部族です。平和な部族は自分たちを守る術を持たないがゆえに、繰り返し物資を略奪されたり暴力を受けていました。ある日、好戦的な部族に平和な部族が襲撃にあっているなか「マクレレ」という名の少年が2本の棒を握りしめ、たった一人でアクロバティックな身のこなしで敵と戦いました。これ以来、好戦的な部族は二度と襲撃にくることはありませんでした。その後、彼の故郷の部族は棒を使って模擬戦闘的にダンスを行うようになり、彼の名誉と勝利を記念して、このダンスを「マクレレ」と名付けました。

  3. 西アフリカの内陸部の村は、地域紛争に巻き込まれました。村のすべての戦士が、侵略者から彼らの人々を守るために最前線に呼ばれました。有能な肉体の男達全員が力を合わせて戦いました。しかしながら、翌日、村人たちが目を覚ますと、戦闘域から遠く離れている小さな村が侵略軍の一部に襲われているのを発見しました。村を守るための戦士がもはや村には残っていなかったのですが、ここで予期せぬ英雄が現れました。あるひとりの少年が2本のただの木の棒を取り上げ、残りの村人に恐れずに防衛することを促しました。彼の英雄的な努力が伝説になり、マクレレとして表現されています。


Maculelê Nagoas capoeira Japão 浜松コストコ
浜松やらまいかフェスティバル1
浜松やらまいかフェスティバル2
浜松やらまいかフェスティバル3

参照 引用

https://www.historia-brasil.com/bahia/maculele.htm

https://en.wikipedia.org/wiki/Maculel%C3%AA_(dance)